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第1回 『ボウズ、ピアニストにだけはなるんじゃねえぞ』
日本で毎年約1000人以上の音楽大学ピアノ科卒業生が送り出されている。1000人と言ってもこれは控え目な数字で、「音楽大学」とうたっていない一般大学の教育学部音楽科・芸術学部音楽学科のピアノ専攻生まで含めたら実数はさらに多いのではないか。
カンタンに云えば、少なく見積もっても毎年1000人のピアニスト志望者が世の中に出る。単純計算すれば10年で1万人。…しかし凄い数だ。
このうち殆どの人がピアニストにならずに終わる訳だ。毎年1000人ものピアニストを受け入れる音楽マーケットなんて有る訳ないし、だいたいピアニストなんて音大卒業者が条件じゃないから、その他の学部出身のピアニストだって「有り」。私みたいに日本では高卒でピアニストになっちまったのも居る訳で、音楽マーケットのピアニスト部門はホントに狭き門でありますな。
現在は音楽大学を卒業すると一部の人たちは海外留学する。一部と言っても日本の音楽大学のピアノ科卒業者から考えた割合であって、外国の音楽大学・音楽院のピアノ科定員から考えるとかなりの割合になる場合もあるらしい。
例えばニューヨークのジュリアード音楽院だとピアノ科在籍者がアジア系留学生で占められていて、学院長が「うちの学校の第一公用語は英語、第二公用語は韓国語、第三公用語は日本語だ」とジョーク(…実際はその通りなんだろうが…笑…)を云う程、日本人留学生が多いという事ですな。…いやはや。
フランスでもドイツでもロシアでも似たような現象で、日本人留学生は凄い数だそうだ。40年位前なら留学生の絶対数が少なかったので、それなりにステイタスになったろうが、今じゃピアノ科出身の留学経験者は公費私費合わせて1万人は下らないそうだから、珍しくもなんとも無くなってしまった感がある。
そこで、次なるステイタス獲得方法は国際コンクール入賞経験という事になるわけだ。
国際コンクールはたかだか100年位の歴史でしかない。
記録されている最古のピアノコンクールは、19世紀の終わり…第1次世界大戦以前にロシアで「アントン・ルービンシュタイン国際コンクール」というものが合計5回開催されたのが始まりだという。ピアノ部門と作曲部門があったようだが、例えばバルトークはピアノ部門で第2位・作曲部門で第1位になっている。ピアノ部門ではヨゼフ・レヴィーン、ヴィルヘルム・バックハウス、フェルッチョ・ブゾーニ、アルトゥール・ルービンシュタイン等が出ているようで、コンクールという概念が珍しかった当時はピアニストや作曲家にとって重要な登竜門だった。
やがてポーランドのワルシャワでショパン国際コンクールが誕生、次いでベルギーのブリュッセルにイザイ国際コンクール(現在のエリザベート王妃国際コンクール)、ソ連(現ロシア)のチャイコフスキー国際コンクール、フランスのパリでロン=ティボー国際コンクール、ドイツのミュンヘン国際コンクール、英国のリーズ国際コンクール、イタリアのヴィオッティ国際コンクール、ブゾーニ国際コンクール、ポルトガル・リスボンのヴィアンナ・ダ・モッタ国際コンクール、南米ウルグアイのモンテヴィデオ国際コンクール、スペイン・バルセロナのマリア・カナルス国際コンクール……雨後の筍のように国際コンクールが乱立し、「国際コンクール」と名前のつくコンクールだけでも全世界で大小2千は下らないという状態になってしまった。
参加者(応募者)の国籍を問わなければ国際コンクールと銘打てる訳で、揚句には「コンクール第1位」の栄冠を勝ち取るまで年齢制限ギリギリまで30回以上も世界各地の国際コンクール挑戦を続けるピアニストまで出現した。
国際コンクールを毎年全世界で少なめに見積もって100ヶ所(…実際はとてもそんな数じゃ済まないが、論理展開上100で充分)だとすると、単純計算すれば『国際コンクール優勝者』の肩書を持つピアニストが年間100人ずつ出現する訳だ。「またそんな計算を…」と笑われそうだが、10年で1000人の『国際コンクール優勝者』が誕生する事になる。
こんな話をすると必ず「おヌシはコンクール否定論者か」と噛みついて来る奴が居るが、私はコンクールを肯定も否定もしていない。
むしろコンクールは「大枚をはたいて自前のリサイタルを開催しなくても舞台経験を積める貴重な機会」として私は参加を奨励している。
場数を積むのは大変である。最初からピアノを弾かせて貰えるような場所なんてそうあるわけではない。自前でリサイタルやってもホール借りるのに数十万、調律代・チラシチケット印刷代・チラシデザイン代金に当日スタッフ人件費でかなりのお金が掛かる。おまけに宣伝広告は雑誌に載せたって人は来ないから全部自分自身で宣伝しなけりゃならない(私なんか今でも自主宣伝している)。経費とエネルギーは莫大で、とてもじゃないが演奏どころじゃない。自主公演なんてものは年に1回やっただけでヘトヘト、ウンザリ。私が自主リサイタルをやらないのはそれが理由。馬鹿馬鹿しくてやっていられないからだ。
その点コンクールは大変役に立つ。2・3万円も払えばコンクールに参加できるし、一応それなりのホールで調律したコンサートグランドピアノを弾かせてもらえる。審査員もいて点数が付けられるという事を考えれば、それなりに緊張もするだろう。予選通過すればまた弾かせて貰えるし、失敗したって本人が落選するだけで他に迷惑をかける訳ではない。
コンサートだとそういう訳には行かない。観客はお金を払ってチケットを買う訳だから、ステージ上で失態は許されない。「上手く弾けませんでした」では済まないのである。たいていキャリア最初は実質的に「招待券バラ撒き」状態になるから、本番でうまく弾けなくても招待客は余り怒らない…と言うより怒る資格はない。
しかし自腹を切ってコンサートに来た客はそうではない。「金返せ」と言う代わりに二度と聴きに来なくなる。レストランでマズいものを食べさせられた時と同じ。
それを最小限に押さえるには場数をこなすしかない。そう考えるとコンクールはリーズナブルに場数を踏める絶好の機会なので、失敗なんか恐れずにどんどんコンクールにチャレンジしろと生徒に勧めている。そのかわり優勝しようが予選落ちしようが結果には一切関心を持たない。コンクールに優勝したから即優秀とは限らない。審査員達の好みがたまたま集中したから第1位という結果になるだけの話で、審査員の顔触れが変われば別の参加者が第1位になる可能性もある。あちこちのコンクールで審査員が似たようなメンバーで構成されると優勝者や上位入賞の顔触れも似たような結果になりやすい。
コンクールで優勝せずに下位入賞や予選落ちしたピアニストのほうが結果的に成功してしまう場合も少なくない。審査結果が一般聴衆の嗜好や評価に繋がるとは限らないからだ。
判りやすい例では、1985年のショパン国際コンクールで優勝したのはブーニンで、以下第2位ラフォーレ、第3位ヤブウォンスキー、第4位ミチエ・コヤマ、第5位ルイサダ、第6位ピカイツェンだったが、最も国際的に成功したのは第5位のルイサダである。良い意味で個性的なピアニストは審査員の票が分かれるからで、順位が優劣とは限らないのだ。解答の決まっている数学ならともかく楽器演奏に点数をつける事は不可能だから、審査員は自分の感覚や評価基準で点数をつけるからなのだ。
では、ピアニスト(コンサートのピアノ演奏だけで飯が食える人)になるための絶対条件……私は『運の強さ』に尽きるんじゃないかと思う。もちろんどんなに強運でもピアノが弾けなかったら話にならないけれど、運に恵まれてないと駄目。有名音楽大学を出て海外留学を経験し、どこかの国際コンクールでの受賞歴を持ったピアニストは今や掃いて捨てるほど存在する。私の場合、留学経験がピアニストとしての活動に直結した事はない。コンサートのプロフィールを読んでお客さんが「ロシアに留学?へぇ〜そうなの。」と思うだけ。ロシア留学経験者なんて今時の日本で珍しくも何ともない。
つまるところ、その人がピアニストであるかどうかを決めるのは運に恵まれたタイミングではないかと思う。ピアニストの定義も変わりつつある。世の中にピアニスト志望者がこれだけ増えていて音楽マーケットは飽和状態でピアノ演奏以外に本業を持つピアニストも増えて来た。ある名門中学で数学を教えている先生は学校へのバス通勤の中で楽譜を集中して読み、頭の中で練習する。実際にピアノに触れるのは週に1〜2回だが、見事なピアノ演奏をする。ラフマニノフの「パガニーニの主題による変奏曲」をオーケストラと共演して堂々たる演奏を披露する。この先生は音楽大学卒業ではなく留学経験すらない。学校の数学教師である。しかし、この先生のピアノ演奏だけを聴いて「アマチュア」だと言う人はいないだろう。こういうピアニストもあちこちに出現するようになった。
私は門下生にピアノ以外の正業に就く事を要求している。生活に不安を抱えてピアノを追求出来る訳がない。それぞれの仕事での苦労はあるだろうが、自分の将来や老後まで含めた不安感に比べたら仕事の苦労のほうがはるかに天国だからである。ピアノ演奏だけで生活するのは余りオススメ出来ない。固定給料無し・ボーナス無し・有給休暇無し・産休無し・国民健康保険・出世と無関係・退職金無し・恩給無し・失業保険無し・収入は不安定…ないない尽くしである。それでもピアノを弾く事を死ぬまで止められない一種の『変人』が我々ピアニストなのだ。人に夢を与えるピアニストが「夢も希望もない身分」なんだから洒落にもならない。ピアノ演奏で生活出来るのは運以外の何物でもないのでありますね。
……そうならない内に「正業」に。高いお金掛けて音楽大学に行く意味は年々少なくなっていると思う。卒業しても絶対にモトが取れないからだ。
私の師匠が、少年の頭を撫でながらこんな台詞を仰せだった。
『……ボウズ、ピアニストにだけはなるんじゃねえぞ』
けだし名言である。
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